少数派は損していると気づいたから多数派になる

体験談

読み飛ばして大丈夫です。

小学生時代

私が小学生の頃は、ベイベレード、デュエル・マスターズ、ゲームで遊んでいれば友達に困る事はなく、それを無意識的に楽しんでいた私は間違いなく多数派の人間であったと記憶しています。

室内でゲームをする友達や公園で遊ぶ友達、誰とでも仲良くしていた小学生時代。

中学生時代

自分が少数派になったのは中学校に入った頃です。

その頃、「勇者ヨシヒコ」や「半沢直樹」といったドラマが流行っていて、それを見ていなかった私は一人、取り残された気持ちだったと思います。

一番大きな出来事といえば、今までのゲーム仲間と疎遠になってしまった事。ゲームは子供がするものだという意識から中学に上がってからは殆ど触れておらず、勉強に力を入れようと志ていたので、ゲーム仲間からは「マジメなやつになってしまった」と言われた事がありました。

脱!多数派

そんなこんなで、気づいたら自分は少数派になっていました。

アニメが好きなだという少数派というよりは、多数派の波に乗れない少数派と呼ぶのが正しいかと思います。

私がこの様になってしまった一番の原因は「勉強」だったのかもしれません。

中学の頃は「慶應義塾」に通う事を志していたので、勉強以外は怠慢であり、サボりというイメージを持っていたのでしょう。

「遊ぶくらいなら勉強に費やす方がいい」

「遊びすぎて慶應に入れなかったらどうしよう、後悔するだろうな」

「そんなので盛り上がっている間、俺は勉強するけどね」(思いつつも勉強はしない)

こんな考えが私を多数派である事から遠ざけたのではないかと思います。

多数派でない事のデメリット

正直、高校でも波に乗れず退屈な高校生活を送りました。その話は別の記事で話すとして、そんな高校生活で分かった事、それは多数はでないと自分が損をするという事!

①話が続かない

その話題が分からない限り、嘘をついて相槌を打ったとしても、話を発展させる事ができない。

いずれにせよ、嘘をついたら信用を無くすし、話が続かないのならば自分との相性が悪いのではないかと、避けられる様になるかもしれない。

確かに、自分が全ての流行を知る事はほぼ不可能だが、自分が知っている流行を教えたりする事ができないと、相手もつまらないであろう。

また、話が続く事で、相手の知らない事を教えたり、逆に自分が相手から学ぶ事ができるのではないでしょうか。

一生懸命に話を聞いてたとしても、それを共感できなければ話している相手はつまらないでしょう。

②友達ができない

そして話が出来ない人というレッテルを貼られると、人が酔ってる事は少なくなるかと思います。

例え、自分から話題を触れなくても、その話題になって時に知っている事を述べる事で相手との共感を得る事ができるでしょうが、話題について知らなければ、そこからの人間関係は発展しづらい。

逆に、流行を知っていれば、「この人とは話が合う!」と人間関係の発展が容易になるかと思います。

うつ状態

それでも少数派で問題が無いという方は専門的な知識が豊富で自分の居場所があるのだと思いますが、少数では無いし、多数派でも無いという私の様な少数派の方は、最終的に心が病みます。

いや、心が病んでいるからどちらでも無いのだろうか?ただ、私は中学から高校にかけて「うつ病」に近い症状が出ていたので、楽しい事に対する興味を持てなくなってしまったのでは無いだろうか。

だからそのはず、多数派にはなれない。これが招く最大の悪は、更に心が病む事だ。

話が続かない、そして友達ができないと続くと、もう孤独で精神が崩れてしまいそうな「うつ状態」と言えるステージに進んでしまう。

俺、多数派になるわ

[alert title="注意"]以上の説明は私の極端な考えであり、絶対そうとは言えないので、この様な事が起きるかもね、という理解でお願いします。[/alert]

正直、私は第3ステージの「うつ状態」にあるので、「鬼滅の刃? 俺には関係ないや」と考えが日々浮かんでは消えていきます。興味を持つ前から拒絶している状態です。

そうすると、また人間関係が希薄になる。

自分を変えたい、それなら多数派になるしかないでしょう!?

理想の多少数派

「多数派」「流行」私からすると何故か聞こえが悪い。サイレントマジョリティーと言われる様に、取り敢えずそれにしがみつくという安易な考え。

一番の理想形は、多数派の価値観も理解できて、最終的に少数派である事を選ぶ事。

つまり、流行を楽しむ上で、専門的である自分なりの分野に進む。自分らしさが出ていて良い。人はこの状態を目指すべきだと思う。

逆に、多数派である事は損なのかというと、そうでも無いだろう。

確かに、服の流行にすぐ乗っかる人を独自性が無いから「格好が悪い」と評価する人が居るかもしれないが、そこに独自性を見出せれば良いので、その様な事を知らずに指摘をしている人はとても損なだと思いませんか。

だから、多数派で良いのです!

夢の先に幸せはあるのだろうか

私には夢があります。それはミュージシャンになる事。

ですが、ほぼ無理だと思ってもいます。

夢を描くのは自由だけど、それを叶えるとなると難しい。

私は、無理に自分らしさを見い出す為に、夢を無理にでも追っかけるのではもう辞めて、多数派として生きる事にします。

その夢を叶える為の努力をせず、夢を描く事を楽しんでいるだけ。

夢を叶えた先に楽しい人生が待ち望んでいる保証はない。

楽しい人生を歩む簡単な方法。それは、多くの人によって保証された作品や流行の波に乗る事。

大体、夢は努力して叶えるものではないと思う。楽しい事を夢にする事で、それがいつか叶うのだと思う。夢を叶えるのなら、その過程を楽しめなけらば相当キツイし、その先の未来もキツイだろう。

夢に幸せを望むのならば、色んな流行を取り入れて、それを分かち合える人を多く作った方が幸せなのではないでしょうか。

まとめ

という事で私は多数派になります。偏見なんて気にしない。流行を追い続ける男になります。

では、「鬼滅の刃」を見て、話題を広げるための行動を起こそうか。