学歴コンプの俺が高校で勉強だけに時間を費やしたら後悔した件

この記事では学歴コンプレックスに育てられた私が学歴という肩書きを手に入れる為に執念を燃やすも勉強だけに力を入れすぎて青春を楽しめなかった上に受験の結果も散々だったという話をしたいと思います。

誰もが学歴にコンプレックスを持っていて、境遇も違うでしょう。私の場合は才能がないのに学歴が全てだという親の教育だったので、結果を残せずに終わりました。

この記事は自分でその過去を振り返るという意図で作成しました。また、興味を持って読んでくださった方の人生のヒントになれば良いなと思います。

もし、小さなお子さんをお持ちであるお父様は、この記事を通して当然の事ですが学歴が全てではないという事。そして、それが全てだと教わった子供はこの様な生き方をしてしまう事を分かって貰えば幸いです。

学歴コンプに育てられる

くもん

私は勉強に関しては、惜しみなくお金を出してくれる家庭に生まれたので幼稚園の頃から塾に通わせて貰っていました。

ですが、私はその頃から勉強が嫌いで、自発的にしたいとは思えず勉強から遠ざかっていました。それに対し親は学歴は大事だと思っていたのでしょう、私を夜になっても拘束して勉強させました。

親は自分が問題を分からなかったり、間違えたりしたら頭を叩いたり、今までといた問題を消しゴムで消したりしました。

勉強ができない自分を心配した為でしょうか、お酒が入っていたのかその様な結果になってしまったのでしょう。小学校に上がった時はその様な事はなかったですが、塾は強制的にですが続けていました。

お金が全て 学歴大事

私が小さい頃は良くお金の話をされたのを覚えています。お金が無いと生きていけない。乞食になる、橋の下で暮らさないといけないなどと脅され、お金が如何に大事かを教わった。

更に、お金を稼ぐ為には高学歴である必要がある事を教え込まれたのだ。この様に社会で生き残る為には学歴が必要だという事を潜在的に考える様になってしまったのでしょう。

中学生 : 高校受験失敗

中学生になった時、それは学歴コンプレックスが爆発した時期であった。家族が地元のヤンキー高校をバカにしていて、自分もバカにされない様に良い高校に行こうと思っていたのでしょう。それはそれは大きな夢でした。

夢は大きく...

私は一番偏差値の高い高校を学校案内(通称がくあん)を使って調べ上げたのを覚えている。偏差値75レベルの東京学芸大、筑駒...。その中で私が選んだのは慶應義塾高等学校。理由は私立であるから3科目で受験できる、因みに国立の高校は5科目である。しかし、これが高校受験の失敗になるとは微塵も考えてはいなかった。

学校の勉強はしない

そう、中学の最初の頃に私立を目指してしまうと3科目しか勉強しなくなってしまうのだ。それが国立であったのであれば報われていたが、それから逃げた結果であるとも言える。

私立特化の落とし穴

自分は慶應義塾を目指していたので、使わない社会、理科を捨てる事によって3教科に特化できるであろうと考えていた。だから、結果としては学校の勉強をしなくなったのである。

逆に言えば、内申が必要である公立の高校を捨てるという事である。

結局、志すのは良いが勉強法が悪かったのか、やる気もなくなって、慶應義塾に行けないと分かると私立である必要も分からなくなってきて、無難に公立に行く事になったのですが、勿論内申が無いしん...。これは困りましたね。

ここで分かったのは、本当に勉強ができる人は家庭科、技術といった受験に出題されない科目の成績さえも良いということだ。

受験失敗

行動もしないのに最後まで慶応に行きたいという願望があった。結局は公立に受かる事もできず、併願の行きたくもない私立の高校に通う事になったのだ。

受験はほぼ勉強をしていなかったので失敗に終わったのだ。ここで一生懸命に勉強をしていれば勉強のコツを得れたのかもしれないのに、何も得る事なく高校に進んでしまった事が、更に失敗を招いてしまったのだ。

高校生 : 大学受験失敗

部活に入らない

これが最大の失敗であった。部活に入っていれば、人脈を広げる事ができたかもしれないし、高校生活を充実させたものにできたのかもしれない。

何故入らなかったのか、それは高校に上がっても学歴コンプレックスを持っていたから、部活の時間を削ってでも勉強に充てる時間を作りたかったからだ。

目指すは慶応、最低でもMARCHと考えていた。

受験失敗

しかし、結果はMARCHすら入る事ができなかった。それは全く勉強をしていなかったからだ。

といっても、勉強した上での勉強をしたいという判断であり、成績が上がらない自分が次第に嫌になりやめてしまったのだ。

更に、そのころはほぼ鬱状態であった。

つづく...。