【ものは大切に使いなさい】の本当の意味を教える

ものとは人間が作り出した所謂芸術作品である。

私が高校時代の時にこんな先生がいた。

本を床に置いたら頭をゲンコツする先生。

それは、もちろん生徒に対してではなく...

先生の子供に対するものであるが、その当時は単に本が好きだからだと思っていた。

 

しかし、ふと本を移動させるのに軽くベットの方に投げた時に脳に電撃が走った。

ものをぞんざいに扱ってはいけない本当の理由が...

本は芸術作品といって他ならない。

そう考えた時、作品を投げるのは如何なものか。

 

まだわからない人に新たな例を出そう。

自分が作成した絵画という芸術作品を何者かにぞんざいに扱われたらどう思うだろうか。

私は星新一の作品をベットの方に投げてしまったのだ。

誰かが見ているかどうかは関係ない。

作品に対する思い入れは、生産者にならないと分からないのだろう。

 

自分も作曲を少しかじる程度だが、作ったりしている。

そんな中、MusicFMというアプリに違法ダウンロードされた音楽を聞いている輩がいると...

あなたは知っていますか?

このアプリは公開されたり非公開にされたりしてappleの監視から逃れているのだ。

 

漫画村の件もそうだったが、自分が生産者になると...

作品をぞんざいに扱う者に対し憤りを感じる。

そう、彼らは昔も今も消費者でしかないので、人の気持ちがわからんのです。

なぜ、ものを大切に扱わない?

ここで疑問が現れる。

それは作品と物は違うのではないかというもの。

しかし、よく考えたら質問するまでもない事が分かるだろう。

扇風機ならば技術者や企画者、その他諸々が一生懸命に作成したのである。

ある意味?いや、これも立派な作品だ。

 

この問題の核心である、ものを大切に扱わない人がいるのかという問題について。

それは、物の使い方はそれぞれであるが、ふとした時に画一化されてしまうからだ。

壷と服を挙げれば分かりやすいだろう。

壷は割れやすいので丁寧に扱わなければならないが...

服は暑いときは脱いだら、どっかにぶっ飛ばしたくなる気持ちは誰にでもあるだろう。

ボールなんて投げるためにある。

 

それが、何かの拍子に混同してしまい。

本を投げるという行為に至ったのだろう。

人間が作り出したのは全てが芸術作品ではないが、作品である事には代わりはないので...

そこにある、クッションだって人が頑張って生み出したものであるから...

ぞんざいに扱うべきではないのです。