ゲームの時間は本当に無駄であると言える理由
みなさんはゲームが好きでしょうか。
私はゲームをする時間が大好きです。
でも、ゲームをする時間は無駄だと思う時がたまにあります。
このページを開いたという貴方も、ゲームの時間が少しでも無駄だと思う方でしょう。
私もその様に思うのですが、ゲームは無駄であるという記事がなかったので、敢えてマイナス意見を述べてみようかと思いこの記事を作成しました。
ゲームの時間は無駄である
ゲームの定義
まずは、ここで言う「ゲーム」の範囲と定義について説明します
[memo title="ゲームとは"]
この記事で取り扱う「ゲーム」は家庭用ゲームや携帯ゲームの事
[/memo]
カードゲームやボードゲームなどは除いて話を進めていく事にします。
なぜなら、私はゲームしかしないので、他の事については言及する事が出来ないからです。
子供時代はカードゲームをしていましたが、純粋な心を持っている時期ですから、それが時間の無駄だとは思った事はないですね。よって、現在はカードゲームをしていないので言及しない事を了承お願いします。
テレビやゲーム画面を見て遊ぶ光景が浮かべば、その理解であっていると思います。
私がゲームの時間が無駄だと思う理由は以下の様になります。
[list class="li-accentbdr strong"]
- スキルが評価されにくい特性がある
- 印象が悪い
- 無駄と思う時点で認めている
[/list]
評価されないゲームスキル
ゲームで得られるものは、配信などしない限り評価されないという現実について。
ゲームは基本一人で遊ぶものですから、世界の誰かとチーム戦で遊ぶとなっても、仲間は遠く離れた人であるから、その人が「アイツ上手い!」と呟いてもそれを実感する事ができません。
ゲームは通信の世界ですから配信する事やボイスチャットで誰からのコメントを貰って初めて評価されると言う特性を持っているかと思います。
それでは、ゲーム以外の娯楽だったらどうでしょうか?
[list class="li-accentbdr li-double strong"]
- ピアノが上手に弾ける人は、合唱コンクールで伴奏を任されることで評価されます。
- 沢山の本を読んできた人は、日常会話で知識が豊富な人だと評価されます。
- スポーツが得意な人は、体育の授業で尊敬の目で見られます。
[/list]
この様に、ゲームは通信の世界ですから、それを披露する場所が限られてくるので、得られるスキルは自己満で終わってしまうのです。
印象の悪いゲーム
私がゲームの時間が無駄だと言う理由の1つにゲームの印象が悪いという事を挙げます。
印象の悪いゲームに時間を費やすくらいならば、自分に付加価値を身につけてくれる趣味をした方がいいのではないだろうか。
そもそも、何故ゲームに対する印象が悪いかというと、それは子供の遊びだと思われているからでしょう。
子供が手にする事の無い様な、グロ要素のある大人を対象としたものでも、例え子供を対象としたゲームをしていなくとも、「趣味はゲームです。」と言うと子供っぽく聞こえる。
余談ではあるが、高校や大学の自己紹介の時間に「趣味はゲームです。」と言った人がいないのは、自他共にゲームに対する印象が悪いからでは無いかと考えている。
それでは、自己紹介や面接で自分を説明する時に、ゲーム以外の娯楽ではどの様に聞こえるのでしょうか。
[box class="box32" title="事例"]
Aさん「私はピアノが得意です。ピアノ歴は10年です。」
(あの難しいピアノを10年も続けたのか!頭もいいのだろう。)
Bさん「私はゲームが得意です。ゲーム歴は10年です。」
(ゲーム10年?誰でもできるよね。私は30年だけども。)
Aさん「私は大学では、勉強の他にラグビーを続けてきました。」
(最近流行りのラグビーか!この人ともっと話しがしてみたいなぁ)
Bさん「私は大学では、勉強の他にプロゲーマーの活動をしてきました。」
(e-sportsだっけ?よく分からないし、そもそもスポーツじゃ無いよね)
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こんな人もいるだろうと想像で書いてみましたが、やはり女性からしたら、ゲームを家でこもってしていそうな人より、性格が明るそうでスポーツをしている人の方を選ぶかもしれません。
貴方が、スポーツとゲーム両方好きだとして、好きな女子に「〇〇くんって普段何しているの?」と話しかけらたとしたら、圧倒的にゲームの時間が長くても「ん?サッカーしているよ。」と前者を選ぶでしょうね。
この様にゲームに対する印象は良くは無いので、評価されないゲームに費やす時間があるならば、楽しくて印象の良い他の事をする方が有益であると考える事が出来ます。
ゲームは暇つぶし程度と捉えて、別な事を始めれば良いと思うのですが、私はそれでもゲームですね笑。
無駄だと思う時点で認めている
貴方がゲームの時間を無駄と考える時点で、貴方の貴重な時間を浪費してしまっている、という考えが成り立つ理由について解説していきたいと思います。
結論から言えばゲームの時間を無駄かどうかを判断するのは自分であると言う事です。
まず、ゲームを楽しむ一方、ゲームの時間を無駄だと思う自分がいる
それは、その時間を別の時間に費やす方が得策である、又は今までゲームをしていて得たものがないといった思いがあるから、この様な考えに至るのだと思います。
「ゲームなんかに時間を使うのではなく、理想の自分に近づく為の時間に使いたかったなぁ」と潜在的に感じている訳です。
その時間を何に使うべきか明確でなくとも、そう思ってしまった時点で時間の無駄なのです。
そりゃそうだ、そう思ったのだから。
今までの時間を他の時間に充てれば、今の自分はより幸せだったのかもしれないと思うのであれば、私の様にゲームばかりしていて他の楽しみを味わった事のない人だと思う。
だから、人の幸せを見て自分もこうしていれば良かったなとゲームの時間を挙げて無駄だと嘆く。
やっぱり、それって無駄だと認めているよね。
次の項で説明するのですが、何事も無駄な事なんて無いのです。しかし、ゲームしかしないのはどうかと思います。
解決策としては、ゲームの時間が無駄だと思うのであれば、自分はゲームが好きである事を認めつつ、ゲームの時間を減らして、他のやりたいことをやれば良いと思います。
それでも、やっぱりゲームが一番楽しいのですがね...笑。
無駄であり無駄では無い
以上、ゲームの時間は無駄であるという事を説明してきました。自分自身ゲームが好きだし、この先も続けていきたいと思っていますが、ゲームは無駄だと思ってしまう理由について、目を逸らさずに見つめてみました。それでも行き着く先は、何事も無駄であり無駄では無いという考えです。
意味のある事なんてあるのか
いかなる事にも意味のある事なんてあるのか、その答えは自分の中にしかないと思います。
だから、誰かが無駄だと言っても、その人にとっては意味のある事なのです。
意味のある事が人助けなら、人助けを楽しいと思えなければ、それ以外は意味のない事なのだろうか。
いや違う、人生の意味とは幸せになる事だから、自分が幸せだと思う事こそが意味があるの事ではないだろうか?
そして、生きるためには楽しい事が必要だから、ゲームの時間が将来に役に立たないから無駄といって、その時間を全く無くしてまで、理想を追い求めるような事があれば、逆に人生が苦しくなるかもしれない。
ゲームは確かに評価される環境が少なかったり、印象が悪いという特徴があるかもしれないが、それが自分の幸せである事には変わりない。
そして、楽しいと思う事にお金やスキルといった効率や見返りを求めるのが間違いなのかもしれない。
ただ、楽しい事ばっかりしていると後々困るのは間違いない。やはり、やるべき事をキチンとこなした上でのゲームなのではないか。
まとめ
ゲームの時間を無駄だと思ってしまうのは、ゲームしかしていないからだと気づいたのは、大きな収穫だったと個人的に思いました。ゲームばっかりになると時間の使い方は合っているのかと心配になる。だからと言って、幸せの時間に意味を求めると無駄だと思ってしまう、そこに意味を求めてはいけない
そして、何事も両立が大事!